| 古代(奈良・平安時代)において、仏教勢力が日本全国に広まり、神と仏とが一体のものであると考えられ、寺に神を祀ったり、神社でお経を読んだりしていました。 巖根宮(岩根宮)は、白山比盗_社の三社(金剣宮・別宮・巖根宮)の一つで、鎌倉時代の「白山之記」に「巖根宮・宝殿拝殿講堂・鐘楼、小社巨多也但奥宮白鳥云尼神也」とたくさんの建物があったことがうかがえます。 室町時代の「大永神書」いは「巖根宮仁明天皇御宇嘉祥元年戊辰(848)本地十一面御垂迹僧形高皇産霊尊」と記され、すでに本尊に十一面観音像がまつられており、室町時代に書かれた「義経記」には「後鳥羽天皇文治二年(1186)二月十日、源義経通夜す。」と義経一行が十一面観音像に詣で、武運を祈願し、夜を明かしたと伝えられる神社です。 境内には「義経通夜記念の碑」が建っており、苔むした境内には山伏姿に身をやつして都落ちする義経一行の思いを代弁するかのような静寂が漂っています。社号の由来は、近くにそびえる「天狗壁」(御座岩)にちなんでいるとされています。
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