| 一里塚は、古代中国の制に倣って織田信長が始め、徳川秀忠によって、慶長9年(1604年)に東海・北陸など官道一里毎に築かれました。江戸日本橋を基点にして、一里(4キロメートル)毎に五間(約9メートル)四方の塚を道路の両側に築き、その上に樹木を植えて道標としました。 県内でただ一つ残った吉光の一里塚は、北陸街道の粟生宿駅にあったもので、天正年間に織田信長が設置したと言われていますが定かではありません。もとは南北に対をなしていましたが、明治14年7月2日の手取川洪水によって北側の一基が流出し、南側の一基が残りました。 塚の木には榎が使われていますが、これは当時北陸街道両側にあった松並木と区別するためだったようです。
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